Short Stories

BACK HOME
少女の影 告白


 夢を見た。彼女と歩いている夢を。それが夢だと、はっきりと分かった。夢によくある不可解な出来事は何ひとつなく、僕と彼女はただ歩き、話し、微笑みあっていたけれど。柔らかなその夢はやがて輪郭を失い、暗闇に光るともし火のようにゆらめき、朝の光に溶けて消えた。

 放課後、カーテン越しの乳白色の光が教室に射し込んでいる。細かなほこりがきらきらと漂っている。すりガラス越しの廊下に、人影はない。
 彼女は自分の席に座り、頬杖をついて天井の隅を見つめていた。
「浅生さん」
 なんとなく躊躇われたけれど、声をかけずにいられなかった。今この時を逃してはならないと、誰かが耳もとでささやいていた。
 彼女がゆっくりと視線を僕に向ける。黒い瞳が僕をとらえる。少し首を傾げて。唇が笑みをかたどって行く。
「あ、浅生さんっ」
 握った掌に、汗が滲み出している。
「なぁに?」
 遠くから響いてくる運動部のかけ声やブラスバンドの練習する音。その隙間を縫って彼女の声が僕に届く。耳が熱を持ち、自分の顔が赤くなっていることを知る。
「どうしたの?」
 くすっと、彼女が小さく笑う。心臓は僕の意思に逆らって早鐘を打つ。
「す、好きですっ。付き合ってくださいっ!」
 瞑ったまぶたの裏に赤や黄の星がいくつも飛び交い、時にこちらに迫って来る。自分の呼吸の音が耳にまとわりついてうるさい。
 彼女は言葉を発さない。沈黙が僕の身体を蝕んで行く。
「ふぅん」
 無感動なその声が聞こえるまで、どの位の時が過ぎたのだろう。僕の目は彼女にひきつけられ、耳の熱は引いていた。
「私のこと、好きなんだ」
 彼女の声以外、何も聞こえない。ゆっくりとうなずくと、彼女はまたくすっと笑った。
「私が、欲しい?」
 立ち上がり、ゆっくりとした、けれど確かな足取りで僕の方へと歩み寄る。
「私を、自分のモノにしたい?」
 その場に立ちすくむ僕を見据えて歩むその姿は、しなやかな肉食獣にも似ている。
「ねぇ、桐野くん?」
 唇が、少女には不似合いな動きで言葉を紡ぐ。
 僕の首が魔法にかけられたように頷いたその瞬間、彼女の唇が僕の唇をふさいでいた。甘い香りが、鼻腔をくすぐった。
 じっとりと汗ばんだ少女の白い肌に朱が差し、波のようにうねる。甘い声がただ一点から身体中を駆け巡る刺激と共に、脳髄を痺れさせていた。

 気がつくと教室は暗闇に沈んでいた。その教室に、僕はひとりきり。耳障りだと思った音は、僕の呼吸音だった。足元に目をやると、僕の制服と白いスカーフが落ちている。
 僕は逃げ出していた。僕の口から発せられる悲鳴ともつかない叫び声。逃れようのないその声から逃げるように。足は闇雲に地を蹴る。どこに向かって走っているのか分からない。
「キモチヨカッタ?」
 艶かしい女の声が、すぐ耳もとで聞こえたような気がした。