Short Stories

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手紙


 郵便受けに白い封筒が無造作に放り込まれていた。鍵を外し、取り出してみる。一画一画の始めから終わりまで、全ての線が何かを語っているような文字で私の住所と名前が書いてある。見慣れたブルーブラックのインクが少しにじんでいる。胸の奥で、何かが少しその位置を変えた。
 足元から、寒さが身体を這うように上って来る。
 取り出した白い封筒をしっかりと胸に抱き、郵便受けに鍵をかけ直して、エレベーターに乗り込んだ。四階のボタンを押し、ドアを閉じる。モーターの静かなうなり声と共にエレベーターは動き出した。
 無遠慮に隅々を照らす蛍光灯の下では、封筒は目に痛いほど白く見えた。
 それまでの重たげな音とは比べ物にならないほど軽い音が響き、エレベーターはその動きを止めた。不必要に思えるほど分厚いドアが開き、冷たい空気が入り込んでくる。
 逃げるようにエレベーターを後にして、手前から三番目のドアの鍵穴に鍵を差し込む。油の切れかかった甲高い音。疲れた体には重い扉を開けて、部屋に入った。後手に鍵をかける。電子レンジの青白い時刻表示が真夜中を示しているけれど、それは実感を伴わない奇妙な感覚だった。小さくついたため息が白く固まるのが見えた。
 靴を脱ぎ、五歩半でキッチンを通り抜ける。フローリングの床は凍えるほど冷たい。部屋の明かりをつけて、エアコンのスイッチを入れる。ルーバーが音もなく開くけれど、暖かい風はまだ流れてこない。
 とりあえず荷物を降ろし、キッチンへ戻る。コートは着たままで。
 シンクの下からミルクパンを取り出し、コンロにかける。一度マグカップに注いだ牛乳を移し入れ、重みのないダイヤルを回した。小さく灯ったオレンジ色だけが、電気コンロがきちんと働いていることを味気なく伝える。部屋からの明かりを受け、淡く光って見える白色をスプーンでかき回す。やがて、ミルクパンの縁からうっすらと湯気が昇りはじめる。少し多めの砂糖を入れて、かき回し続ける。電気コンロのスイッチを切ると、湯気がその量を増した。もう一度、マグカップにそれを注ぎ直す。
 ミルクパンをシンクに置いて部屋へ戻ると、ちょうどエアコンが動き始めていた。テーブルの前に座る。両手で包み込んだマグカップは、冷え切った指には火傷しそうなほど熱かった。息を吹きかけると、表面を覆う薄い膜が細かく震えた。
 傍らに置いた封筒を手に取ってみる。そこに書かれた自分の名前を、ゆっくりと指先でなぞる。あの日から、彼はいつもどんな想いでこの名前を書いているのだろうと思うと、不意に切なくなってしまった。そんな考えにそっと蓋をして、封を切る。乾いた紙の音が私を責めているように響いた。


真倉美佐さま

 冬本番、寒さもいよいよ本格的になってきましたが、お元気ですか? 僕は相変わらず元気です。バカは風邪をひかないと言いますし。

 それはともかく、今までこんなバカの手紙に付き合ってくれて、本当にありがとうございました。未練がましくだらだらと送り続けていた手紙も、もうこれっきりにしようと思います。新しく誰かを好きになったとか、そういうんじゃないんですけど。
 ただ、いつまでもこんな手紙を送り続けて、あなたに嫌われてしまうのもイヤなので。そう、僕は今でもあなたのことが好きです。その気持ちに変わりはありません。でも、ようやく分かったんです。あの日のあなたの言葉の意味が。もう、終わったことなんだと。
 分かるまでこんなに時間のかかってしまった僕を許してくださいとは言いません。こんな僕のことは、覚えていてくれとも言いません。忘れてしまってください。
 ただ、もう自分自身を傷つけるようなことはしないでください。泣きながらサヨナラなんて、もう言わないでください。こんなバカのことを「優しすぎる」と言ってくれたあなたこそ、優しすぎます。もっと、自分自身に優しくなってください。

 最後に。今まで本当にありがとうございました。どこかでまた会うことがあったなら、その時は笑って「久しぶりだね」と挨拶しましょう。

仁科 智


 読んでいて泣きそうになるのを、必死に堪えた。泣いてしまうのは、あまりにも簡単だから。私は泣いてはいけないから。
 あの日から、私は彼を傷つけ続けてきた。はっきりと別れも告げずに。ただ『しばらく会わないでおこう』と、それだけを告げて。彼の優しさが、私には苦しかったから。彼の優しさが彼を傷つけるのを、見ていたくなかったから。それでもいつか、再び会える日が来ると信じて。でも、私は変われなかった。会えばきっと、また甘えてしまう。そして傷つけてしまう。
 こんなにもずるい私は、泣いてはいけない。私から逃げたのだから。まっすぐに見つめてくる彼の瞳から、逃げたのだから。
 暖まった部屋の中で、ミルクは生ぬるくさめてしまっていた。それでも私はそれを飲み干した。甘ったるいミルクは、ずるい私をなぐさめてくれた。
 今はただ、願いたい。彼が、私よりも素敵な誰かに巡り逢うことを。いつかきっと来るそんな日に、ずるい私は少し泣こうと思う。彼の前で、あの日のように……